立ち居振る舞い・その5
両肩に6人の重みがかかる・・・・
これは「責任の重み」とも言えます。
この重さに屈してしまうから・・・立てない
「受け容れる」と・・・・気持ちいい
そして、どんなに重くても「自由に」出来る・なれるのです。
「重い・・・」から立てない、苦しいのではないことも身体を通じてわかります。
「重い」・・・・「苦」を加えると・・・・「苦重」です。
「重さ」・・・・が「ありのまま」です。
それ以上でもそれ以下でもなく、「ありのままの重さ」を両肩で感じて、「ありのまま」に両肩を下げる・・・・
それが「責任」というものへの「向き合い方」ではないでしょうか?
「責任」とは「重苦しいもの」にしているのは自分なんです。
「重い」ことは「悪い」こと、としていないでしょうか?
責任と「向き合えば向き合うほど」、大きなことが出来ることをこのワークは教えてくれています。
どれくらいの責任を負うことが出来るのか?
かなり大きなものを負う能力が人間にはあるのです。
その能力を無視して使わないことは、もったいないとは想いませんか?
このワークは、社会を「正す」力くらいは、皆が当たり前に持っている証拠でもあります。
社会を正す以上のことが出来るのです。
「無責任」で「無視」して「無関心」で「されるがまま」「なすがまま」を「そのまま」で「放置」する「力」が
強調されている時代ですが、
「受け容れる力」
「向き合う力」
「あるがままの力」
「誇りの力」
「責任を負う力」
「立ち上がる力」
「正しい型を作る、維持する力」
などが身に付きます。
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